一年の長さが年々短くなっていくのはなぜか
ぼやぼやしていると師走を迎えたと思ったら、もうクリスマスだ。その次の一週間は無いようなもので、すぐに新年になる。
もう一年たったのか、年々一年経つのが早く感じるなあ、などという話をしているそこのあなた。
子どもの頃は一年がもっと長かったような気がする?それには理由があるのだ。
一年間の長さが年々短くなるのはなぜか
説明しよう。
一言で言えば、
相対的なボリュームが小さくなるからです。
簡単に言えば小学校6年間と社会人6年間では同じ6年間でも感じる長さは全然違うのではないか。
それはそれまでの人生で経過した時間の蓄積と比較して一年間のボリュームを計測するから。
最も単純に比較すると、6歳児にとっての一年間は彼のそれまでの人生の6分の一の重みであり、60歳の一年間は60分の一だ。
だから年をとるのに比例して一年間が短く感じるのだ。
もう少し突っ込んで説明すると。
- 時間の経過を感じるためには記臆が必要
- 一定の期間を振り返ることは記臆を参照すること
- 濃密な時間は記臆の容量も大きい
- 古い記臆は重要なもの以外は圧縮され容量が小さくなっているが消えてはいない
何?わかりにくい?
じゃ、次のようなイメージではどうだろう。
大雑把に、記臆を写真データに例えると、
ハードディスクに一年分の写真データをまとめて突っ込んだときにどう感じるか
というのが感覚的に近いと思う。
フォルダは第一階層には一つ。
直近のものや、古くても重要だったりお気に入りだったりでマークの付いたものは特大サムネイルで表示されている。
そしてこのフォルダでは、1ヶ月も経ったものは自動で中サイズに縮小されて表示される。
一年前のものは小サイズになる。
数十年前のものとかで重要でないもの、つまりデータにしばらくアクセスがないものは、勝手に圧縮されて、一階層下のフォルダに突っ込まれる。
そんな中、一年間分の写真データをメモリカードから保存してみる。
さてどれくらい増えたかな?と考えたときに、ハードディスクがスカスカだった頃(子供の頃)と比べると、おお〜増えたなーという感覚はそれほどないんじゃないか、という話。
まとめ
期間の長さの感じ方は、人間の体感した時間経過の記憶の蓄積に左右されるということ。
思い出や記臆が頭の中を占領する大きさは、それが自分にとってどれだけ重要だったかに左右される。
忙しい時期を後から振り返ると、その間夢中であっという間だったが濃い一年だったということもあるだろう。
子供の頃に比べれば、それまで色々経験してきた大人は、新鮮な体験とか深い感動とか、なかなか得にくいもの。
でも、少しでも濃い日々を過ごしていければ、あっという間だったけど濃い一年間だったねと、言えるようになるんじゃないだろうか。