【映画】シン・ゴジラ 石原さとみは絶対必要だと思う件【ネタバレあり】
石原さとみの"浮いている"感は意図的か?
シン・ゴジラについての感想の中で、石原さとみが「浮いている」とか「あのキャラいらなくね?」とか色々言われている。
で、個人的には彼女の演技も高く評価しているし、役柄も必要だと考えているので、勝手に擁護してみることにする。
というわけで擁護記事を書くわけですが、そのためにはネタバレも必要となるわけで、観ようか迷っている方は、観るべきかそうでないか、どんな要素が含まれるかを書いておいたので、前回の記事を参考にしてみて欲しい。
どうせ観るなら劇場で観たほうがいいのは間違いないけど、趣味嗜好、求めるものが合わないなら不幸な出会いになってしまうから。
では、以下はネタバレ含み。
まず今作において石原さとみについての批判としては下記のようなものがある。
・キャラに対して石原が若すぎる
・キャラが浮いている
・40代でアメリカ大統領を目指す日系アメリカ人(笑)
・ハーフタレントでよかったんじゃ
・AEON英語
では、石原演ずるカヨコ・アン・パターソンとはいかなる人物であるか。
カヨコのキャラ造形
・アメリカ合衆国の大統領補佐官、つまり政府関係者。
・祖母は日本人。
・父はパターソン上院議員。
・不利な立場になるとわかっていても応援してくれる支援者が居る。
・支援者の言から、栄光ある家柄らしいので、1代での成り上がりではなく名門家系であり、父以外にも議員などを輩出しているものと推測できる。
・40代で大統領を目指している。
まあ、「こんな奴現実にはいねーよ」なキャラ造形であることは否定しがたい。まず、肩書は大統領補佐官というれっきとしたものではあるが、製作発表あたりでは「米国のエージェント」とか言っていたので、極めて胡散臭いし、それだけ聞くと地雷臭しかしない(笑)。
登場しての最初の喋りからして怪しさ満点。「複数のReportからランドウ・ヤグチが適任と判断した」とか言ってた。(英語部分だけそれっぽい発音)
ということで冒頭、登場シーンからして「何だコイツ」感がありありで、虚構性の強いキャラであることは事実。
ただね、この設定ゆえに色々と考えるというか考察というより妄想する余地が沢山あるわけ。
コレを上手い手法と見るか、いつもの庵野の投げっぱなしかよと見るか。果たして?
批判への私見
さて、批判に対する意見を順に述べていく。
若すぎる?
1番目、若すぎるという点。
これについては確かに、大統領をも狙う骨太な女性像であることを考えると、若すぎる感は否めない。
ただこれは本人にはどうしようもないことで、ミスキャストなのであればキャストを選んだ側に問題があることになる。
まあ、たぶんこういうキャラとビジュアル感が、庵野監督の好みなんじゃないかと思う、知らんけど。
で、絵的な見栄えのことも考えれば、僕としてはギリでありかなと思う。20歳そこそこの女優だったらさすがにダメだと感じたと思うが、この場合の「配役として許せる女優の年齢のライン設定」は人によると思うので、ということはつまり、好みというかその人のキャパの問題ってこと。
若すぎるわと思ったとしても、もうそれで映画に集中できんわ〜という人は潔癖すぎやしないか?
配役として若すぎるということは既に役者としてこの作品においてハンディを負っているのだ。その彼女がどのように役柄をこなしていくのかを観るのがツウ、粋というものだ。
そして、役柄としては、大統領を目指すってところでは出世というか強烈な上昇志向を持っていることがわかる。
若いのにアメリカを代表しているということは「年齢や肩書きでなく能力主義のアメリカ」の象徴であり、彼女が有能なエリートであることも示している。もちろん家柄やコネもフル活用してのことではあるだろうが。
となれば、むしろ彼女が若いからこそ、アメリカらしさや、エリート感を演出する配役と言えるだろう。
何らかの事務所からのゴリ押しがあったのではという意見もあるが推測の域を出ない。ゴリ押しというなら前田敦子がもっと前面に出ていたり、それどころかAKB現役メンバーとかジャニーズとか色々ぶっこまれてカオスになっているはずだ。
この映画そのものが、基本的に小さな子どもやファミリー層置いてけぼりの作風であることからも、従来からの広告代理店主導のマーケティングなど全く無視し「やりたいようにやった」のではないかと思える。そういう意味では、独立性の高い製作ができているように思うので、ゴリ押し云々は関係ないと判断する。
キャラが浮いてる?
次。 キャラが浮いているという批判について。
- 浮いていると感じられたのはなぜか。
- 浮いているとして、それは作劇上意図したものなのか?
- 意図的に浮いているとすれば、その目的は何か。それは達せられているか。
で、僕の意見。
浮いているのは、巨災対をはじめとする日本側とのギャップがあるためだ。
- キャラ自体が嘘臭い設定
- ルー語っぽい会話法が胡散臭い
これが、早口で抑揚なく堅い言葉で喋る巨災対のメンバーとは大きなギャップを生み、異物が飛び込んできた感じを醸し出す。
それらは明らかに脚本上意図されたものであるから、意図的な「浮いている」キャラとして造形されたのだと考える。
浮いている彼女が必要な理由
正真正銘エリート中のエリートである彼女が「鼻つまみ者厄介者はみ出し者・・」の巨災対の面々の中で、アメリカだけが知る情報を提供する場面。
明らかに異物だった。
官僚たちの「早口専門用語羅列抑揚無し感情希薄日本語」に対し、カヨコの「英語チャンポン自己アピール満点日本語」である。
そして、自信家、有能ということは高慢さが鼻につくということでもある。
彼女はアメリカをはじめとする国際社会からの目線を象徴している。だから、日本や巨災対にとっては外部の異物であり、浮いているのは当然なのだ。
そんな彼女が、終盤に立ち位置を変えて巨災対へのコミットメントを示すことにより、米軍がヤシオリ作戦に参加することの理由付けを意図している。
それまで英語圏での発音Godzillaガッズィーラを使っていた彼女が、「God・・いえ、ゴジラ」と、日本側の発音に合わせて言い直す。
その後、避難勧告出てるけど私はココに残るというのと合わせて、これは彼女が心情的に日本側に寄ってきていることを示す演出だと思う。
強い女であるはずの彼女は、退避命令が出ていることを矢口に告げた時、泣きそうだった。
そして、彼女は自らのキャリア、立場を投げ打って、矢口たちの計画に加わった。
正直、失敗したら立ち位置の悪化は確実で、大統領の夢を捨てなければならない可能性は高い。はっきりと、この時もう彼女は巨災対の、いや、日本の仲間だった。
日本、それは仕事が早いおばあちゃんの祖国、自分の母国であるアメリカが2発の原爆を投下した国。祖母を苦しめた原爆を、3度も落とさせるわけにはいかないと言った場面では、自身の祖国はアメリカであるということは明確に自覚しつつも、日本をどうにかしたいという気持ちが表れていたと思う。
ちょっと考えてみる。
日本にもルーツを持つ彼女は、だがしかし名門の家系である。
そして、アメリカ合衆国は移民国家、多民族国家。イタリア系中国系ヒスパニック黒人、色々である。
そんなごった煮状態のアメリカの代表者としてふさわしいのは、アメリカの国益を代弁できるかどうか、なのではないだろうか。
自分の民族的アイデンティティを強調することは、おなじ民族的なルーツを持つ層からの支持は得られたとしても、広範な支持を得ることには繋がらない。日系である、日本寄りであるということは強調しづらい。
大統領を目指すのは、40代。後半も含まれるので50手前として考えてもかなりの難題。
だからこそ、大統領を目指す大統領補佐官は、より一層、国益国益言わなきゃならない。日本語がそれなりに(実際はペラペラだけど)喋れるというだけでは、対日本の窓口になど任命できないはず。
だから彼女自身、劇中に登場する以前からずっと、アメリカの国益第一というスタンスであったはずだ。
名門一家であり、家の名を汚すことは本来考えもしないエリート意識の強い人間だったであろう。そういう自身のバックボーンを賭けてまで矢口に協力したのだ。
でも、そうしたのは彼女だけではない。
彼女の支援者もまた彼女を止めるのではなく、今後不利になる可能性を言及したうえで、それでも日本に、矢口に協力しようとする彼女に、協力した。
本来、彼女の立場を考えれば、諌めて然るべき場面ではないだろうか。それでも、彼女はそれを選択したのだから、それなら彼女を支える、その選択を支持する。だから、彼女にかける言葉はグッドラックなのだ。
米軍内には、いや多国籍軍の各国から、ヤシオリ作戦への志願者が続出したという。
皆にそこまでさせたのは何だったのか。
最初に自衛隊が頑張った。
当初の段階で在日米軍を頼ろうと意見する閣僚に、森防衛大臣が「まずは自国で対処すべきです!」と言う。
自衛隊が防衛ラインを突破された後、承諾なしに出動した米軍の空爆がゴジラにダメージを与えたとき、閣僚が「さすが米軍」といい、それを睨みつける防衛大臣。
これは対米従属への批判ともとれるけれど、そのことが「この映画で一番庵野監督のやりたいこと」ではないと思う。
それよりも表現したかったものは、危機に立ち向かおうとする日本の姿だ。
「血を流し努力することもなく他者を利用しようとする」姿勢は必ず付け込まれるだけだということ。
実際、アメリカからは色々と要求を突き付けられていた。
損得、自分の利益だけを考えているような奴は、「助けてやってもいいけど何くれんの?(鼻ホジ)」「利用し、しゃぶりつくしてやるぜ。そっちもそのつもりだろ?」ということになる。
そういう日本に対し、そのままであればカヨコは自らの立場をかなぐり捨てて矢口に協力しただろうか?
アメリカを頼ることだけ考えているような日本であるならば、カヨコとしては、日本を利用してアメリカの国益を最大化させることこそが、祖国への貢献となる。
彼女自身、最初はそのつもりだったのではないか?
しかし、みんな懸命になすべきことをなしている、そんな姿を見て彼女は心を打たれたのではないか?
ただ何となく好かれているということでなく、わずかな可能性にかけ、駆け引きも駆使して、必死になって足掻いている日本の姿を見たから。
意図的に浮いて造形された彼女は、終盤、打算や功利主義でなく個人的な感情によって動く。
それは、同じ人間を助けたいという思い。危機を何とか収束させんと足掻く人々の姿を見て抱く、胸が熱くなるような感覚。
それこそは人間が人間であることの証明だ。
だから、それを描きたかったのだとすれば、(僕はそうだと思っているが)、その目的は達している、と考える。
そのためには彼女というキャラクターが必要だったのだ。
ハーフタレントを起用すべきとの意見について
ハーフタレントがどう、というのは本質ではない。別にカヨコというキャラクターの存在感にリアリティを求めていないから。
虚構性の強いキャラクターであればこそ、リアリティを重視しハーフを起用するのではなく、コテコテの日本人から見てそれっぽければいい、という国際マーケットガン無視の作り方である。
それよりも終盤の演技の方が重要なのだ。
そして石原さとみの演技は、素晴らしいものだったと思う。
無人機による波状攻撃が始まり、基地で佇む彼女の顔。
ラスト、矢口が政治家の責任の取り方は1つしかないと辞職を仄めかすと、「好きに、すればぁ」と、呆れたようにいう彼女の目に浮かぶ寂しさ。
彼女の演技はそんなに見たことはなかったが、こんなに上手いとは思っていなかったので、成る程と納得した次第。
英語の発音について
ちなみに、彼女の英語の発音については、人様の英語の発音について偉そうにいえる立場ではない、つまり自分自身ひどい発音しかできない分際でディスるつもりはないが、彼女の発音は「日本人が頑張って習得した英語」であって、「ネイティブの発音とはやっぱり異なる」という程度のものだと評価している。
まあ分かりやすく言うと、宇多田ヒカルがデビューした時、思ったわけですよ。あ、ホンモノだわこれ、って。
それまでのJPOPで使われていたなんちゃって英語との発音の違いは明らかでした。
日常的に喋ってなきゃどうやってもネイティヴの発音にはならないんですね。
でもそれは仕方がないこと。英会話を習っている中で習得できる範囲ではものすごい努力していると思います、きっと。
終わりに
そんなわけで、石原さとみが良かった。
お前が萌えただけじゃねえかって?
そのとおりです。何が悪い!
いや正直そんなに好きなわけでもなかったんですが、今回でとてもいい女優さんだなと認識しました。